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『光のありか』#11MG野々村佳穂

コロナ禍で塞ぎ込みがちだった私の心を救ってくれたのが、都立大サッカー部だった。

 

 

期待に胸を膨らませて入部したあの日から、月日は流れ、引退の時を迎えた。

部員時代、悩み立ち止まる度に読んできた先輩方のI will…

いざ書く立場になり、確かに自分が都立大サッカー部の一員だったのだと改めて実感しつつ、4年間の歩みを振り返っていく。

 

 

初めて部活見学に行った日の光景は、4年経った今でも鮮明に覚えている。

チームや個々の課題と向き合い真面目に練習する選手の姿。

選手と同じ熱意を持ち黙々と動くマネージャー。

練習後の先輩方の和気あいあいとした雰囲気。

そこからひしひしと伝わる人柄の良さ。

 

コロナ禍に上京して間もなくのことで、人と関わる機会が激減していたため、無意識的に人との繋がりを求めていたのだと思う。

この日、先輩方と交わした言葉が私の心を温めてくれた。

 

高校時代からの憧れだった体育会部活のマネージャー。

 

帰宅する頃には、確かな目標を持って高みを目指す選手・スタッフ・マネージャーの先輩方のように、4年間精一杯頑張りたいという思いが強まっていた。

 

「大学4年間を懸けて、必死に大学サッカーに打ち込もう」

そんな思いが、数日後入部を決意した私の中にあった。

 

 

9月入部だった私にとって、1年マネージャーとして活動したのは6カ月間。

3人の素晴らしいマネージャーの先輩方の背中を追いかける日々で、目の前のことで手一杯だった。

 

練習前のアイシング用氷準備、用具準備、ベンチ整理、ボトル準備、マーカー置き、練習中のボール拾い、ビブス管理、タイムの計測等の仕事一つ一つに対する義務的意識は薄く、主体的かつ創意工夫のもと動いていた。

 

つまり、単にリスト化してこなせばOKではない環境がそこにあった。

その時々の状況に合わせて臨機応変に、選手の潜在的なニーズや要求に応えていく。

 

先輩方の仕事は、氷の準備一つ取っても、その日の天候を考えて量を調節したり、アイシングをする人数を予測して過不足なく用意したりと学ぶことが多かった。

選手が怪我をした時には、いち早く気付いて医療バッグとボトル、アイシング用氷を持って駆け寄っていく。私が気づいたときには、もう行動していて…

 

練習後、駅まで歩く道のりで、怪我をした選手の容体やテーピング方法について話し合っている姿には正直驚いた。

三者三様の在り方で、いつも部活のことを思い生活する先輩方に憧れ、私も努力を重ねた。

 

 

しかし、できる事が増える反面、葛藤もあった。

 

今まで積み上げてきた経験によって、一通り仕事はできるようになっていたけれど、試合に

出て活躍する選手のように直接勝利を手繰り寄せることはできないし、試合中劣勢に立たされていても必死にゴールを守る選手達を見守るほかないという現実。

 

自分がチームに貢献しているという実感を持てずにいた。

この頃の自分は、マネージャーとしてあるべき姿を見失っていたのではないかと思う。

 

そんな時に同期からもらった言葉。

「かほちゃんが俺らのマネージャーでホントに良かったって思ってるよ。

いつもありがとう。」

 

今まで自分がしてきたことは少なからず選手の為になっていたのだと実感でき、

この言葉が、マネージャーとしての自分が今後どうあるべきかを考えるきっかけとなった。

 

試合で得点に絡んでいくこと、それは選手にとってのチーム貢献の在り方の一つであって、マネージャーである自分には当てはまらない。

 

マネージャーである自分にとって突き詰めるべきは、もっと別の部分にあった。

 

「部員にとって最適な環境を作り出すこと」

 

「選手が思う存分プレーに集中できるように神経を研ぎ澄ますこと」

 

試合を迎えるまでの書類作成やエントリー作業、運営準備、当日の試合運営等全てにおいてミスのないように、細かい部分まで丁寧に行う。

 

日々の練習においても、練習に来た部員が気持ちよくグラウンドに向かうことができるように部室掃除は徹底する。ベンチはいつでも怪我人対応ができるように整えておき、ボトルの水は決してなくならないように、夏はボトル内の温度上昇にも気をつける。

 

常にその場で何が求められているのかを考え、先読みして行動していく。

あらゆる場所に転がっている選手・スタッフのニーズを受け取るアンテナを磨く。

 

その一つ一つに劇的な影響力や効果はなくても、小さく細かい努力の積み重ねが、誰かのパフォーマンスを上げる一助となったり、チームに良い変化をもたらしたりとやがて実を結ぶ瞬間がやってくるかもしれない。

 

それが、マネージャーとしての自分が信じ、突き詰めてきたことである。

 

 

そして、迎えたラストシーズン。

私は、部での活動に加え、東京都大学サッカー連盟学生幹事として活動する決断をした。

 

23年次、学生運営委員として、東京都大学サッカー連盟との連絡、事務的手続きを担うことで、連盟と部をつなぐ橋渡し的な存在となっていた自分にとって、都・神奈川リーグを支える大きな組織の中に飛び込むことは、多くのことを吸収でき、学び得たことをチーム運営に活かせる絶好の機会だった。

そして、都・神奈川リーグ2部所属の小さなチームにもたらされる少しの変化や改革に向けた流れが、やがて大学サッカーの価値向上、発展につながるのではという期待も秘めつつ。

 

都学連での活動は本当に学びが多かった。規模の大きい試合の運営や、試合開催に直結する競技分野を担当したが、一チーム視点だけではなく、全加盟チームを束ねる総合的な視点が身についたと感じている。

連盟活動中に良いなと思ったことは、部内での試合運営、日々の事務班業務に生かしていった。

 

チームの意識改革、組織運営の改善、事務班の体質改善、スケジュール管理の徹底、仕事を引き継いだ後輩の責任あるチーム運営等一つ一つの取組みが実を結び、部としては初、シーズンを通してチーム運営を円滑に行い、ミス防止を徹底したチームに贈られる「チームマネジメント賞」を受賞するに至った。

 

4年間の歩み全てに大きな意味があったと思える瞬間だった。

 

 

しかし、唯一悔いが残っていることがある。

3年目のシーズンオフ頃から4年目にかけて就職活動に割くべき時間が増えていくにつれ、部活との距離が少しずつできてしまったこと。

自分の将来と向き合い、進路を模索することに必死になるあまり、部員とコミュニケーションをとる機会が減っていった。

 

就職活動中は、人生最大の困難ともいえる程、苦しいことが多かった。

練習の直前まで面接があり、集合時間ギリギリになって向かう日々。練習後も面接対策に追われ、マネージャーや同期とも十分に会話ができない期間が続いた。

 

その結果、すれちがう場面が増え、その過程で迷惑をかけたことがたくさんあった。

ぎりぎりの状態の自分をさらけ出す勇気がなかった。

傍から見ると、部活に対する姿勢が中途半端だと思うことがあったかもしれない。

あの時、キャパオーバーな自分を認めてもっと周りを頼ればよかった。

 

そんな忘れられない失敗や後悔にも意味があったと思えるように。

就職先が決まり、自分の行いを反省した後は、深く考え、心の底から楽しみ、やり切ったと思えるよう努めた。

 

 

私の大学生活は、都立大サッカー部とともにあった。

 

 

私を部に引き込んでくれた明るく楽しい先輩方へ、力強く部を盛り上げてくれた後輩達へ、一番近くで切磋琢磨し合ったマネージャーのみんなへ、心からの感謝を贈りたい。

 

 

そして個性溢れる8人の同期。

同期のみんながいたからこそ、最終節を迎えるまで部活を続けてこられたと思う。

意見がぶつかり思い悩むこともあったけれど、一人一人部活のことを思っていて、優しく同期愛が深い人たちで。

オフのたびに行く同期旅行はいつも楽しかった。

ふとした時にくれる温かい言葉には何度も救われた。

学年が上がるにつれ増えていった後輩達が、同期を慕う姿には、嬉しさがこみ上げてきて。

 

社会人になってもずっと仲の良い関係でいられますように。

 

 

部活を通して出会えた全ての方へ、今まで本当にありがとうございました。

4月から社会人として、都立大サッカー部での日々を糧に力強く歩んでいきます。

 

 

末筆ながら、東京都立大学体育会サッカー部の益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。

 

 

野々村佳穂