まず初めに自分がここまでサッカーを続けるなかで関わった全ての人達に感謝をしたいと思います。
本当にありがとうございました。
長いサッカー人生の中でも特に大学サッカーで痛感したことは環境に本当に恵まれていたということです。
大学でサッカーを体育会系で続ける選択は世間一般的に見ると少数派だと思います。
少なくとも自分の周りではそうでした。
それゆえか怪訝な目を向けられたりすることもありました。
なぜそこまでの時間を費やすのか。
何になるというのか。
辛くないのか。
みなさんも一度は聞かれた経験があるのではないでしょうか。
どうやら俗世では大学で部活動を続けることは決して合理的とはいえないようです。
この非合理的ともいえる選択にはそれ相応の理由があったのでしょうか。
揺るぎない意志?
崇高な動機?
実に単純です。
『サッカーが好き』
そこに嘘や偽りは一切ありません。
この驕りも遜りもない本能的な感覚は一番の自己表現です。
これだけは唯一の絶対条件と言っても過言ではないと思います。
この大前提のもと、背景や思考が全く異なる個が理念を共有することでチームは寄せ集めの集団ではなく、同じ志を持つ仲間が集う誇り高い組織であり続けられます。
理念制定や班活動の開始など長期的に見てもチームのターニングポイントともいえるタイミングに立ち会えることができたのも幸運でした。
僕はこのチームが大好きだし、誇りに思います。
ピッチ内外問わず多くのことをここで吸収しました。
特にピッチ外で得たことはこの先の人生においても財産であり続けるものだと確信しています。
プレイヤーとしてだけでなく、人間として成長できる環境が整っています。
大袈裟でもなんでもなく、この環境では周りの誰かが自分の人生や価値観に大きく影響を与えうると本気で思っています。
キャプテンや主務など核となってチームを先導する姿や、学生コーチ,マネージャーの献身性などはもちろんのこと。
AチームBチーム関係なくどの組織に所属していようが周囲を鼓舞し続ける先輩。
練習前誰よりも早く来て準備していた先輩。
引退スピーチで『頑張るは義務』ということを教えてくれた先輩。
当たり前の文化として根付かすために復帰をした先輩。
これらはほんの一例に過ぎませんが、先輩同期後輩関係なくどのエピソードも印象的でした。
人生で大きいことから小さいことまで半永久的に繰り返される選択においては結果論でしか正解不正解の判断を出来ないのかもしれません。
自分の人生は振り返ると間違いの方が多かった気がしていますが、そんな自分でも入部したことだけは胸を張って正解だったと言い切れます。
正直、偉大な先人方のような貢献は果たせていませんが、このチームの一員であったという証としてこの文章を残したいと思います。
ここまでこれを読んでくださった人にほんの少しだけでも響くものがあったならなら幸いです。
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