· 

『サッカーは人生そのもの』#8 植木瞭

上手くなりたい、全国大会に出たい、プロになりたい…

 

そう思って14年前の僕は当時ブラジル代表のロナウジーニョのプレーを観てサッカーに憧れを抱きました。

 

誰しもみな小学生ぐらいまでは本気でプロを目指し、サッカーに取り組んでいたことと思います。もちろん僕もです。だって、サッカーが好きだから。

 

しかし、中学生になると体格のせいか試合に出られない時期も続き、いつしかプロサッカー選手なんて夢のまた夢、そう思いました。

 

高校では栃木県トップの高校に進学し学業に本腰を入れながら好きなサッカーに打ち込むという生活を送りました。プロになれなくとも、せめて関東・全国大会に出場したい、そう思いながら高校生活を送ったのを覚えています。

 

しかし…叶わず。

 

高校までのサッカー人生は決して順風満帆とは言えないものでした。

 

そして、大学生になりました。もともと大学に入ってもサッカーを本気でやりたかったので、初めて練習に行った3月下旬には入部したのを覚えています。

 

当時はコーチもいて、その人中心に練習メニューを決め、それに従いながら、やる。当然のことでした。しかし、1年生の後期ぐらいからコーチがいなくなり、必然的に練習メニューや方針を選手主体で考えるというスタンスになりました。

 

今までは監督やコーチがずっといて、その人に従っていろんなことをする、いわゆる受動的な姿勢が当たり前だったので、最初は戸惑いながらやっていました。もちろんメンバーも選手主体で決めるので不満が出たりすることもありました。

 

しかし、サッカーって考えれば考えるほど複雑、だけど面白い、いつしかそう思って自分なりに考えながら発言したり、プレーしたりしていました。これが未だかつて味わったことのない、首都大サッカー部が与えてくれた財産だと個人的には強く思います。

 

タイトルにもあるように、僕は死ぬまでサッカーから離れられないと引退が近づくにつれてつくづく思っていました。いざ後期最終節を終えると、自然と涙がこぼれ落ちてきました。これが試合に負けたが故の涙なのか、何か違う悔し涙なのか、それはわかりません。

 

自分は幸い東京都立大学大学院に進学するのであと2年の学生生活が残されています。つまり、来シーズンも何らかの形で首都大サッカー部に貢献できると考えています。

 

後輩たちと一緒にグランドで考え、悩み、そして解決していく。僕も後輩たちと一緒にさらに人として成長できるように全力を尽くします。

 

 

またグランドで会いましょう👋